大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(ワ)7145号 判決 1984年9月26日

原告(反訴被告)

小松望

原告(反訴被告)

小松知恵子

右訴訟代理人

佐伯幸男

浅井利一

被告(反訴原告)

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

遠藤きみ

外八名

主文

1  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)小松望及び同小松知恵子に対し、各金一七六六万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五一年五月一一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  原告(反訴被告)小松望及び同小松知恵子のその余の本訴請求を棄却する。

3  被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

4  訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする。

5  この判決は、第1項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一本訴請求の趣旨

1  被告(反訴原告、以下単に「被告」という)は、原告(反訴被告、以下単に「原告」という)小松望及び同小松知恵子に対し、各金三六〇二万五〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五一年五月一一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

三反訴請求の趣旨

1  原告らは、被告に対し、各金一五一八万七五〇〇円及びこれらに対する各内金七五〇万円については昭和五四年三月二七日から、各内金七六八万七五〇〇円については昭和五四年九月二七日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

四反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴について)

一請求の原因

1 本件航空機事故の発生及び結果

(一) 事故の概要(以下「本件事故」または「本件航空機事故」という)

(1) 事故発生年月日

昭和五一年五月一〇日午前一〇時四九分から同一一時四二分の間

(2) 場所

仙台空港の南東約六〇キロメートル(東経一四一度四〇分北緯三七度三五分)の洋上付近

(3) 事故機

JA五二一四ビーチクラフト式九五―B五五型(以下「事故機」という)

(4) 所属

航空大学校(以下「航大」という)仙台分校

(5) 事故の態様

事故機が飛行訓練中に海面に衝突して、破損海没し、搭乗者四名が死亡した。

(6) 死亡搭乗者

航大仙台分校教官緒続範行(以下「教官緒続」という)

航大学生牧邦彦(以下「学生牧」という)

航大生加藤寿夫(以下「学生加藤」という)

航大生小松勇(以下「学生小松」又は「勇」という)

(二) 事故の経過

(1) 事故機は、昭和五一年五月一〇日午前九時八分ころ、教官緒続及び学生牧、同加藤、同小松が搭乗して、仙台空港付近空域及び仙台空港の南東約六〇キロメートルの指定訓練空域において、右学生らに対し、別表一記載の飛行訓練を行うため、仙台空港を離陸した。

(2) 事故機が離陸したときの事故機内の座席順は、教官席である右操縦席に教官緒続、左操縦席に学生牧、左後席に学生加藤、左最後席に学生小松がそれぞれ着席していたものであるが、その後、学生の座席は、訓練課目が終了すると同時に、右の順序を学生加藤・同小松・同牧、次いで学生小松・同牧・同加藤と交替することになつていた。

(3) 事故機は、離陸後、右の訓練飛行計画に従つて、仙台空港において、学生牧、同加藤、同小松に対しそれぞれ連続離着陸訓練を実施した後、同日午前一〇時三三分、仙台空港を離脱して、仙台空港南東海上の指定訓練空域に向かい、同一〇時四〇分、仙台空港南東約三二キロメートル海上の指定訓練空域に到着し、学生小松の飛行訓練が開始され、同一〇時四九分、航大仙台分校専用無線局に対し指定訓練空域において高度四五〇〇フイートで空中操作の訓練中である旨の通信連絡をしたが、その後連絡を断ち、同一一時四二分の仙台アプローチからの呼出しに何らの応答もしなかつた。

(4) 事故機は、同月一一日以降捜索がなされた結果、右指定訓練空域の海面に墜落大破して、搭乗していた教官緒続、学生牧、同加藤、同小松の四名が全員死亡していることが確認された。

2 事故原因

(一)(1) 事故機は、前述のとおり仙台空港南東海上の指定訓練空域に到着した後、午前一〇時四九分、航大仙台分校専用無線局に対し指定訓練空域において空中操作の訓練中である旨の通信連絡をしたが、飛行訓練中である同一一時四二分の仙台アプローチからの呼出しに応答しなかつたものであるから、指定訓練空域における約一時間の飛行訓練中に墜落したものである。

(2) 事故機は、訓練飛行計画によれば、指定訓練空域において、教官緒続の指揮監督の下に、学生小松らに対し、スローフライト(低速飛行)、ステープターン(急旋回)、ストール(失速)の訓練をする計画であつたが、本件航空機事故は、学生小松がストールの訓練をしている間に発生した。

(二) 被告は、本件航空機事故後調査を行い、以下の調査結果を得ている。

(1) 指定訓練空域は、同日正午、高気圧に覆われ、風は南東一〇ノット未満で平穏であり、視程は三〇キロメートルであつた。

(2) エンジンは、穏やかに作動していたか、又は停止していた。

(3) 事故機は、左横すべりやや頭下げのほぼ水平の姿勢で海面に衝突している。

(4) 事故機は、事故後その残骸の一部が揚収された際、脚下げ、フラップ(下げ翼)12.5度下げの状態になつており、また左燃料セレクタ・バルブ(燃料切換弁)はOFF(オフ)位置になつていた。

(三)(1) 事故機の訓練飛行計画のうち、一番危険度の高いものはストールである。

(2) ストールは、一旦航空機を失速させ墜落可能な状態にした後、これから脱出して水平飛行に移るという一連の操作であるから、エンジンの出力の回復、脚上げの操作などを誤れば墜落してしまう危険がある。

(3) また、ストールは翼の迎角を増大させていつてある点に達したとき翼面の気流に剥離を生じ揚力が急減して抗力が増大する状態をいうものであるから、ストールに達すると航空機は垂直に墜ちることになり、これから回復するためには、ストールに達すると同時に機首を下げ、エンジンの回転を増加し、速度の増加に応じて機首を水平に保ち、フラップを上げる操作をすることによつて、通常の飛行状態への回復操作をする必要があり、このように適切に航空機を操作しないと、スピン(錐揉)状態に陥つて、揚力を失い、螺施状に落下する。

(四)(1) 従つて、本件航空機事故の原因は、不可抗力によるものであるとか又は機体の故障によるものであるという可能性は少なく、ストール、特に着陸態勢でのストール訓練をしているときに、失速時において急に左スピンに陥り、何かの理由で旋転が継続し、水平スピンに移行し、そのまま回復できなかつたことによる可能性が高い。

(2) そして、左燃料セレクタ・バルブがストール訓練中の回復操作前にOFF位置であつたとすると、学生小松がストールからの回復操作で機首下げ操作をし、出力を最大にし、教官緒続がフラップ上げの操作をしているときに、左エンジンの出力が急減し、その対処のための操作の間にVSSe(一発動機不作動時の安全速度八四ノット)以下となり、急に左スピンに陥つた可能性が高い。

(3) 左燃料セレクタ・バルブが墜落後においてOFF位置になつたものとすると、学生小松がストールからの回復操作で機首下げ操作をし、出力を最大にし、教官緒続がフラップ上げの操作をしているときに、適切な回復操作が行われなかつたため、ストールから左スピンに陥つた可能性が高い。

3 被告の責任

(一) 航大及び操縦教官と学生との関係

(1) 航大は、航空に関する専門の学科及び技能を教授し、航空従事者を養成するため被告が設置した附属機関である(運輸省設置法三七条の二)。

事故機の所属する航大仙台分校は、航大が管理する分校であり、教官緒続は、航大仙台分校の操縦教官であり、被告が雇傭する国家公務員であつた。

(2)① 航大は、採用した学生に対し、航空従事者として必要な技能を教授する義務があり、右の教育訓練を行う過程において学生の生命身体の安全を確保すべき義務がある。

② これを細論すれば、被告は、航大において右の教育訓練を行うために使用する航空機の整備を完全に行うべき義務があるし、右の教育訓練を実施するにあたつては、被告の履行補助者である操縦教官に学生の生命身体の安全を確保させるべき義務がある。

(3)① 航大の操縦教官は、航空機に乗り組んで学生を指導、監督するものであるから、その権限と責任は、航空法七三条所定の機長の権限及び責任と同一である。

② 操縦教官は、学生を教育訓練するにあたり、学生の生命身体の安全を確保すぺき義務があるし、機長として衝突防止に必要な手段を尽くすべき義務がある(同法七五条)。

③ 従つて、操縦教官は、何時でも右の義務を実行することができるように操縦を交替することができる場合に位置すべきであり(同法施行規則六九条の二)、航空機の飛行の危険を防止するために必要な措置を直ちに行う義務がある。

④ なお、操縦教官のこれらの義務は、教育訓練を受ける学生が自家用操縦士技能証明を有するかどうかで異なるものではない。

(二) 被告の過失責任

(1) 本件航空機事故は、被告の被傭者である教官緒続が、その指揮、監督の下で学生牧、同加藤、同小松を教育訓練しているときに生じたものである。

教官緒続は、右の飛行訓練を実施するについては、事故機を正常に飛行させ、安全に帰投すべき義務があつたというべきであり、学生が飛行訓練のため事故機を操縦するにあたつては、常に右操縦席に位置し、計器などを注視し、左操縦席に位置する学生の操縦操作を監視して必要に応じ適切に学生を指導し、必要があれば直ちに自ら事故機を操縦するなどして事故機の正常な飛行を維持する義務があつた。

(2)① 本件航空機事故は、教官緒続が学生小松にストールの訓練を受けさせている間に発生したものであるが、右の訓練課目は、その操作をしている間に高度を低下させてしまう可能性がある。

米国FAA(連邦航空局)発行のフライト・トレーニング・ハンドブック(以下「ハンドブック」という)によれば、多発機におけるストールの訓練は、回復を少なくとも高度三〇〇〇フィートで完了せしめるような十分な高さの高度で実施されなければならないとされており、教官緒続は、右の訓練を開始するにあたつては、少なくとも五〇〇〇フィート以上の高度において行うべきであつたし、訓練中においても、学生を適切に指導して事故機を正確に操作させるべきであつた。

② しかし、教官緒続は、四五〇〇フィート以下の高度において訓練を開始したものであるうえ、学生に適切な操縦を指導しなかつた。

③ ちなみに航大は、本件航空機事故後、学生にストールの訓練をさせるときは、五〇〇〇フィート以上の高度において行うものと定めた。

(3)① 航大が、学生小松らにストールの訓練を行わせたこと自体にも問題がある。

ストールは、前述したように相当危険な操縦操作であつて、ストールの訓練中に事故が多いことは経験上明らかである。

特に本件事故機は、耐空類別飛行機普通N類に属する航空機であり、その運用限界は普通飛行であつて、スピンは含まれておらず、スピンに入つたとき回復できるかどうかの保証がなく、また、事故機はストールにおいてあまり明瞭な前兆なく左側に旋回する特性を持つており、従つて、事故機でスピンに陥り易いコンプリート・ストール(完全失速)訓練を実施することは非常に危険である。

② しかも、仙台分校まで進んできた航大の学生は、航大帯広分校及び宮崎本校において、単発機によつてストール訓練を十分体験、体得しており、仙台分校においてあえて耐空類別普通N類に属する事故機をもつて、危険を冒してまでコンプリート・ストール訓練を行う必要はなかつた。

③ これらのことからみると、航大が学生小松らにコンプリート・ストールの訓練を行わせたことは、危険防止の配慮を欠いていた。

(4)① さらに、事故機をストールにするときには、失速する前に、ウォーニングホーンが鳴ることになつており、操縦する学生は、これによつて失速を予知することができる。

② しかし、事故機については、ウォーニングホーンの点検が十分ではなく、そのため、ウォーニングホーンが作動せず、適切な操作をすることができなかつた。

(5)① 本件航空機事故は、前述のとおり、飛行中に急に左スピンに陥り、何らかの理由で旋転が継続し、水平スピンに移行し、そのまま回復できなかつたことによつて発生したものと推定されるが、教官緒続は、事故機がスピンに陥るおそれがあつた場合において、事故機を操縦していた学生小松に操作の誤りがあれば、直ちに適切な指示をしてこれを修正させるか、又は自ら操縦をすることによつて、エンジンの回転を上げる、機首を上げる、フラップを引き上げるなどの操作をする必要があつたのに、これを適切にしなかつた。

② 仮に、教官緒続がストール訓練の途中で、左燃料セレクタ・バルブをOFF位置にしたとすれば、ストールからスピンに陥る危険性は倍加するのであるから、事故機の操縦時間がいまだ約三時間にすぎない学生小松に対し、これを行つたことは無謀というほかない。

(6)① 以上のように、本件航空機事故は、航大が安全な配慮をしないで学生小松らに危険な飛行訓練をさせたものであるか、教官緒続が学生小松らに適切な指導をしなかつたものであるか、あるいは自ら適切な操縦操作をしなかつたものであることによつて生じたものである。

② 従つて、航大は、自らの危険防止義務に違背したものであるから民法七〇九条に基づき責任を負うべきであるし、また国家公務員である教官緒続がその公権力を行使するについて適切な指導、操縦義務に違背したものであるから国家賠償法一条に基づき責任を負うべきである。

③ さらに、教官緒続の右違背がその公権力を行使するについてなされなかつたものであるとしても、被告は、民法七一五条に基づき責任を負うべきである。

(三) 被告の営造物責任

(1) 事故機は被告の営造物である。

(2) 本件航空機事故の原因は、前述のとおり、失速した後水平スピンに陥つた可能性が大きいと考えられるところ、当時の気象状態は平穏であり、気象上の原因など不可抗力によるものとは考えられないから、事故機の機体に瑕疵があつたものと推定される。

(3) 従つて、被告は、国家賠償法二条一項に基づく責任を負うべきである。

4 損害

(一) 逸失利益

(1) 学生小松は、昭和二九年三月二二日生れであり、昭和五一年五月一〇日、本件航空機事故により死亡したものであり、もしも本件事故に遭わなければ六七歳まで就労が可能であつたから、残りの就労可能年数は四六年である。

(2) 学生小松は、昭和四七年三月、長野県上田高校を卒業した後、同年四月、信州大学に入学したが、昭和四九年三月、同大学を中退し、同年四月、航大第二一期前期操縦学生として航大に入学し、昭和五一年一月一二日、自家用操縦士技能証明(番号第六六七〇号)を取得した後、本件航空機事故により死亡したものであるが、本件航空機事故がなければ、昭和五二年三月、航大を卒業して、操縦士として航空会社又は航大の教官などに就職することになつていた。

(3)① 学生小松の逸失利益を算定するにあたつては、標準的でかつ控え目なものとして航大の操縦教官になつた場合を基準として、以下のないしの条件の下で算定すると、別表二記載のとおりである。

国家公務員の一般職の職員の給与に関する法律所定の教育職俸給表(一)に基づき、職員俸給、期末手当、勤勉手当のほか、五〇歳までは職員俸給の五〇パーセントを航空手当として得ることになるが、この所得から長期及び短期共済掛金を控除し、その四〇パーセントを生活費などとして控除したうえ、ホフマン方式により中間利息を控除する。

六一歳以降は国家公務員共済組合法に基づき退職年金を得る。

六一歳以降は、昭和五〇年度賃金センサス第一巻第2表産業計一〇〇〇人以上新大卒による現金給与額を得るものとし、これに退職年金を加えたものから、四〇パーセントを生活費などとして控除したうえ、ホフマン方式により中間利息を控除する。

六〇歳で退職すると、国家公務員としての勤続年数は三八年となるから、国家公務員退職手当法に基づき退職手当を得るから、これからホフマン方式により中間利息を控除する。

以上の算定により、一万円未満を切り捨てると、学生小松の逸失利益は金五三五一万円になる。

② 仮にそうでないとしても、学生小松の逸失利益を、昭和五五年賃金センサスによる産業計一〇〇〇人以上・高専、短大卒の男子労働者の平均賃金を基礎として、ライプニッツ式計算法に従つて算出すると、別表三記載のとおりとなる。

右の算定により、一万円未満を切り捨てると、学生小松の逸失利益は、少なくとも金四五七七万円になる。

(4) 原告小松望は学生小松の父、原告小松知恵子は学生小松の母であり、右の逸失利益の二分の一をそれぞれ相続したから、それぞれ金二六七五万五〇〇〇円または金二二八八万円(一万円未満切り捨て)の逸失利益を相続した。

(二) 慰藉料

原告両名は、学生小松が航空機の操縦士として成長することを期待していたものであり、我が子を失つた精神的苦痛は大きい。

これを慰藉すべき金額としては、原告両名について各金六〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告両名は、本件訴訟を提起するにあたつて弁護士佐伯幸男、同浅井利一に訴訟の追行を依頼し、同弁護士らとの間で損害の填補として被告から取得する額の一〇パーセントを弁護士費用として同弁護士らに支払う旨の報酬契約を締結した。

したがつて、原告両名は右弁護士両名にそれぞれ金三二七万円または金二八八万円を弁護士費用として支払うべきこととなるが、この弁護士費用は本件航空機事故による損害として相当である。

(四) 損害額合計

以上(一)ないし(三)によると、原告両名のこうむつた損害は、それぞれ金三六〇二万五〇〇〇円または少なくとも金三一七六万円になる。

9 結論

よつて、原告両名は被告に対し、本件航空機事故による損害賠償として、不法行為について、民法七〇九条、国家賠償法一条、民法七一五条又は国家賠償法二条一項のいずれかの法条に基づき、各自金三六〇二万五〇〇〇円または少なくとも金三一七六万円と右各金員に対する本件航空機事故の翌日である昭和五一年五月一一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二請求の原因事実に対する認否

1(一) 請求の原因1(本件航空機事故の発生及び結果)の(一)(事故の概要)の事実はいずれも認める。

(二)(1) 同1の(二)(事故の経過)のうち、(1)については、別表一記載の学生小松に対するスローフライト以降の訓練課目、時間、場所、学生は不知であるが、その余の事実は認める。

(2) 同1の(二)の(2)ないし(4)の事実はいずれも認める。

2(一) 同2(事故原因)の(一)の(1)の事実は認める。(2)の事実のうち、本件航空機事故がストールの訓練をしている間に発生したことは否認するが、その余の事実は認める。

本件航空機事故当時の学生小松の訓練課目はステープターン又はストールである。

(二) 同2の(二)のうち、(2)の事実は否認し、(1)(3)(4)の事実およびその余の事実は認める。

(2)については、右エンジンが正常に作動する状態であつたことは認める。

(三) 同2の(三)のうち、(1)及び(2)の事実は否認する。(3)の事実中ストールに達すると航空機は垂直に墜ちることになることは否認するが、その余の事実は認める。

ストール操作は、航空機が失速して所望の飛行姿勢を維持できないか、又はそれに近い状態になつたとき、失速から脱出して水平飛行に移る一連の操作である。ストールそのものは危険度の高いものではないが、不適切な操縦操作によつてストールからスピンに入る可能性があり、このとき機体の姿勢を制御できず水平スピンに移行すると墜落の可能性を生ずる。

しかし、ストールに達しても、航空機の速度がゼロになるものではなく、垂直に落下するということはありえず、ゆるやかに曲線を画いて落下する。スピンは、その前提として、ストール又はそれに近い状態になることを必要とするが、ストールからすぐスピンになるものではなく、スピンに入れようとして行う意図的な操作又は極端な誤操作をしないかぎりスピンには入らない。

(四) 同2の(四)(1)(2)(3)の事実はすべて否認する。

3(一)(1) 同3(被告の責任)の(一)(航大及び操縦教官と学生との関係)の、(1)の事実は認める。

(2) 同(2)のうち、①の事実は認めるが、②の義務のあることは否認する。

(3) 同(3)のうち、①の事実は認め、②の事実は否認する。③の事実中操縦教官が何時でも操縦を交替することができる場所に位置すべきこと(航空法施行規則六九条の二)は認めるが、その余の事実は否認する。④の事実は否認する。

航空法七五条は、航空機の衝突防止に必要な手段を尽すべき義務を機長に課したものではなく、航空機が衝突したときなどの急迫した危難が現実に生じた場合において、機長に乗客の救助、地上の人、物件に対し危険を防止するため必要な手段を尽くすべき義務を課したものである。

操縦教官が飛行の安全を確保し、危険を防止するために、自ら必要な措置をとるべき時期は、飛行訓練によつて学生に対する教育訓練効果を高めるという必要があることを考えれば、飛行高度、飛行速度、飛行姿勢などの飛行状況と学生の操縦技能、経験の程度によって異なるのは当然である。

(二)(1) 同3の(二)(被告の過失責任)の、(1)の事実は認める。

(2) 同(2)のうち、①、②の事実は否認し、③の事実は認める。

航大は、本件航空機事故当時、事故機でストールの飛行訓練をするときの高度を四五〇〇フィートと定めていたが、これはハンドブックにより多発機ストールの飛行訓練をするときの高度は三〇〇〇フィート以上であればよいとされていることと事故機の飛行規程により同型式機のストールの高度低下は最大約三五〇フィートとされていることに基づくものであり、妥当なものである。

航大は、本件航空機事故、ストールの飛行訓練を五〇〇〇フィート以上で実施するようにしたが、それはたまたま本件航空機事故直後に、事故機の製造会社から、事故機と同型式機によつてストールの飛行訓練をするにあたつては五〇〇〇フィート以下の高度で実施しないようにという安全通報を受け、より一層の安全性の向上を図るためであつた。

(3) (3)の①の事実のうち事故機は、耐空類別飛行機普通N類に属する航空機であることは認めるが、その余の①の事実は否認する。②及び③の事実はいずれも否認する。

耐空類別普通N類の飛行機は、スピンからの回復について、公的にそれが証明されていないというだけで、スピンからの回復の保証がないとはいえない。

また、単発機によるストールと双発機によるストールは、基本的には同じであつても、それぞれ固有の特性を有しており、双発機においても慣熟する必要がある。

そして、航空機は離着陸時などにおいては、常にストールに近い速度で飛行するものであるから、ストールは操縦士の資格、航空機の種別を問わず必要不可欠な訓練課目であつて、すべての操縦士の技能証明試験などにおいても必須の課目とされており、国際的にも右の事情は同じである。

他方、最近の航空機は、適切な操作を行えばスピンに入ることはなく、スピンの訓練を行うことは、曲芸飛行を行うための訓練など以外では、体験する程度に留められている。

事故機は、航空法一〇条所定の耐空証明を有しており、スピンに入りやすい航空機ということはできないし、これによつてスピンの訓練を行つてもいなかつた。

(4) (4)のうち、①の事実は認めるが、②の事実は否認する。

(5) (5)①②の事実はすべて否認する。

スピンに陥る危険があるときには、エンジンの出力をしぼり、航空機の機首が水平線より下になるまで操縦桿をゆるめ、航空機が傾いている反対の方向舵を踏み込んで航空機のすべりを止め、両翼を水平にして旋転を起こさないようにした後、速度が増加するのに伴つて機首を水平にもどし、両方のエンジンを所定の出力にするという操作をする必要がある。

また、ストール訓練中に教官又は学生が意図的に燃料のセレクタバルブをOFF位置にすることは絶対にありえないものである。事故機の左燃料セレクタバルブの位置がどの時点で移動したかは不明といわざるをえないが、同セレクタバルブ等は、事故の一年後一二〇メートルの海底から漁船の網によつて揚収され、長時間にわたる搬送の後、揚陸されたものであるから、セレクタバルブの位置はその間に移動したか又は墜落時の衝撃により移動したものと考えるべきである。

(6) (6)の①の事実は否認し、②の事実のうち教官緒続が国家公務員である事実は認めるが、その余の主張は争い、③の主張は争う。

(三) 同3(三)の(被告の営造物責任)の、(1)及び(2)の事実はいずれも否認し、(3)の主張は争う。

4(一)(1) 同4(損害)の(一)(逸失利益)の(1)の事実中学生小松が昭和二九年三月二二日生れであり、昭和五一年五月一〇日本件航空機事故により死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同4の(一)の(2)の事実中、学生小松が本件航空機事故がなければ昭和五二年三月航大を卒業して、操縦士として航空会社又は航大の教官などに就職することになつていたことは否認するが、その余の事実は認める。

(3) 同4の(一)の(3)の①②の事実はすべて否認する。

(4) 同4の(一)の(4)の事実中、原告小松望が学生小松の父であり、原告小松知恵子が学生小松の母であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同4の(二)(慰藉料)の事実は否認する。

(三) 同4の(三)(弁護士費用)のうち、原告両名が本件訴訟を提起するにあたつて弁護士佐伯幸男、同浅井利一に訴訟の追行を依頼したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同4の(四)(損害合計)の事実は争う。

三被告の反論

1 事故原因と学生小松の過失

(一) 学生小松は、昭和四九年四月九日、航大に入学した後、航大帯広分校において、FA―二〇〇型機を使用して六〇時間、航大宮崎本校において、E―三三型機を使用して一〇〇時間の操縦経験を有しているほか、昭和五一年一月一二日、自家用操縦士の技能証明も取得して、航大仙台分校で訓練を受けていた。

(二) 学生小松は、自家用操縦士の資格を有し、航空機の操縦についての基本的な操作を熟知しており、他型式機により自らの操縦でストール、スピンから回復する操作も経験し、特にストールから回復する操作については十分習得していたほか、航大仙台分校において、同型式機の慣熟飛行を終え、自らの操縦でストールも経験していた。

(三) 学生小松のように一定の段階の教育訓練を終えた学生については、学生の教育訓練の効果をあげるために、できる限り学生自らに操縦させることが必要であつて、操縦教官が自ら学生の誤操作を修正して、自ら操縦操作を行うのは、航空機が危険に陥る直前の段階まで差し控えるべきものであるから、学生が基本的な操作を大きく誤り、異常な操作を行つた場合には、操縦教官が直ちにいかなる修正操作を行つても、危険の回避が不可能になることもある。

(四) 本件航空機事故の原因は不明であるが、学生小松が事故機を不適切に操作したことによるものと推定するのが最も合理的である。

仮に、学生小松がストールの訓練をしているときにスピンに陥り回復しないままに墜落したものと推定されるにしても、スピンに陥つたのは、学生小松の誤操作によるものであるし、スピンから回復できなかつたのは、学生小松が、教官緒続においてもはや修正しえないような、左右エンジンの出力に関する不均衡な操作、誤つた補助翼の操作、過度の方向舵の使用など、回復操作の基本を大きく誤つた異常な操作を行つたものと考えるのが最も合理的である。

2 教官緒続の義務の履行

(一) 教官緒続は、昭和三年一月四日生まれであり、昭和一九年八月、米子地方航空機乗員養成所本科操縦科を卒業した後、昭和四二年八月一〇日、航大教官となり、昭和四二年九月三〇日、操縦教育証明を取得し、昭和四五年四月一〇日、定期運送用操縦士の技能証明を取得し、本件航空機事故当時、五七八五時間四三分の飛行時間を経験していた。

(二) 教官緒続は、航大において約一〇年の操縦教官を経験しており、自らあるいは学生を指導してストールやスピンから回復した経験も豊富であり、この間なんらの事故も起こしていない優秀な教官であつた。

(三) さらに、航大では、学生小松ら自家用操縦士の技能証明を有する者に対しては航空法三五条一項の規定により操縦教育証明を有しない操縦士の監督の下であつても操縦練習をすることができたが、操縦教育証明を有する操縦教官を配置していたものであるし、教官緒続は、同法施行規則六九条の二の規定により操縦訓練を受ける学生小松らとの交替が容易にできる場所に位置していた。

(四) したがつて、本件航空機事故について操縦上の過失があつたとしても、教官緒続の経験、技能などからみて、教官緒続に操縦上の過失があつたとは考えられない。

3 航空機の瑕疵の不存在

(一) 事故機は、米国カンサス州にあるビーチ・エアクラフト・コーポレーションによつて昭和四九年八月二日に製造されたものであり、昭和五〇年一〇月八日から昭和五一年一〇月七日まで有効な耐空証明(東―五〇―二九六)を有していた。

事故機の使用時間は、本件航空機事故当時、機体が一一一四時間三分、エンジン(発動機)は第一(No.1)が一七〇時間三〇分、第二(No.2)が一〇六九時間二八分、プロペラは第一(No.1)が一〇三〇時間三分、第二(No.2)が一〇一四時間四二分であつた。

(二) 事故機は、ビーチクラフト式九五―B五五型の航空機であるが、当該型式の航空機は、昭和三八年九月九日、米国FAAの型式証明を取得し、従つて、強度、構造、性能が基準に適合していることが認められ、また事故機が米国から輸出されるに際しては、米国FAAは輸出耐空証明書を発行し、我が国に輸入された際には、昭和四九年一〇月一五日、耐空証明書を取得しており、その強度、構造、性能は基準に適合していると認められるから、事故機について設計、構造上の瑕疵はない。

(三)(1) 航空法一八条は、耐空証明を受けた航空機について、発動機などの重要装備品を限界使用時間を超えて使用する場合には、定められた方法により点検整備を実施することを義務づけ、その限界使用時間も告示されている。航大では、別表四記載のとおり、告示された時間より短い限界使用時間を自主的に設計し、点検整備を実施しており、事故機もこれによつて点検整備していた。

同法一九条は、航空機を整備又は改造した場合には、有資格整備士が確認することを義務づけているが、事故機についてもこれによつて実施されていた。

(2) 航大では、自主的に、定期及び不定期航空運送事業者に設定が義務づけられている整備規定に準ずる整備要網を設定し、五〇時間、一〇〇時間、一〇〇〇時間の点検項目、整備方法を決めているほか、限界使用時間が規定されていない装備品についても航大が重要と考える計器などについては限界使用時間を設定し、事故機についてもこれによつて適正に整備などをしていた。

また、航大では、耐空改善通報により指示された整備作業などはすべて実施しており、事故機についても実施していた。

(四) したがつて、事故機については、設計、構造上も整備上も瑕疵はなかつた。

4 過失相殺

仮に、本件航空機事故につき被告に責任が認められるとしても、前記1(事故原因と学生小松の過失)のとおり、学生小松にも相当程度の過失が認められるから、これを損害賠償の算定に当たつて斟酌すべきである。

四被告の反論の事実に対する認否

1(一) 被告の反論1(事故原因と学生小松の過失)のうち、(一)の事実は認める。

(二) 同1の(二)ないし(四)の事実はいずれも否認する。

学生小松の飛行訓練は、航大における教育課程の一環として実施されたものであるから、事故機の運航支配は学生小松にはなかつたし、学生小松はカリキュラムに従つて教官緒続に命ぜられるままにストールの訓練をしたものであり、学生小松に操縦上の過失はなく、教官緒続に指導の誤りがあつたものである。

2(一) 同2(教官緒続の義務の履行)のうち、(一)の事実は認める。

(二) 同2の(二)、(三)の事実はいずれも不知。

(三) 同2の(四)の事実は否認する。

3(一) 同3(航空機の瑕疵の不存在)のうち、(一)の事実は認める。

(二) 同3の(二)、(三)の(1)、(2)の事実はいずれも不知。

(三) 同3の(四)の事実は否認する。

4 同4(過失相殺)の主張は争う。

(反訴について)

五反訴請求の原因

1  航空機事故の概要

(一) 一(本訴請求の原因)の(二)(1)ないし(4)(事故の経過)と同旨。

(二) 本件航空機事故発生当時、事故機の操縦を行つていたのは、学生小松であつた。

2  学生小松の過失責任等

(一) 三(被告の反論)1(事故原因と学生小松の過失)、2(教官緒続の義務の履行)及び3(航空機の瑕疵の不存在)と同旨。

(二) 右のとおり、本件事故の原因は不明であり、学生小松の過失に基づくものであり、被告には何らの責任もないが、仮にこれが認められないとしても、少なくとも被告と学生小松は、学生加藤及び同牧に対しては、民法七一九条一項後段の共同不法行為者として、ともに責任を負う立場にある。そして、その責任割合は不明であるから平等と推定すべきである。

3  損害

(一) 本件航空機事故につき、死亡した学生加藤の相続人である訴外加藤近次及び同加藤芙路恵並びに死亡した学生牧の相続人である訴外牧太喜及び同牧マサ子から被告に対し、損害賠償を請求する訴え(東京地方裁判所昭和五二年(ワ)第一一八六八号、同庁同年(ワ)第二一四〇号)が提起された。

(二) 被告は、右各事件につき応訴して争つたが、事故原因が不明であつても、学生加藤及び同牧との関係では被告は民法七一九条一項後段の適用を免れることは相当難しいと考えられたため、各事件につき裁判所から勧告のあつた和解に応じることにした。

そして、訴外牧太喜及び同牧マサ子との間で昭和五四年二月六日和解が成立し、被告はこれに基づき同年三月二六日同人らに学生牧の死亡による損害賠償金として合計金三〇〇〇万円を支払い、また訴外加藤近次及び同加藤芙路恵との間で昭和五四年九月一四日和解が成立し、被告はこれに基づき同年九月二六日同人らに学生加藤の死亡による損害賠償金として合計金三〇七五万円を支払つた。

(三) 従つて、被告は、学生小松に対し、被告が訴外加藤近次らに支払つた損害賠償金合計金六〇七五万円の二分の一である金三〇三七万五〇〇〇円につき、求償債権を有することになる。

(四) 原告小松望は学生小松の父、原告小松知恵子は学生小松の母であり、右の求償債務の二分の一をそれぞれ相続したから、それぞれ金一五一八万七五〇〇円の求償債務を相続した。

4  結論

よつて、被告は、原告両名に対し、求償債権に基づき、それぞれ金一五一八万七五〇〇円及びこれに対する各内金七五〇万円については、昭和五四年三月二七日から、各内金七六八万七五〇〇円については、昭和五四年九月二七日からそれぞれ支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

六 反訴請求の原因事実に対する認否

1  請求の原因1(航空機事故の概要)の(一)、(二)の事実は認める。

2  同2(学生小松の過失責任等)のうち、(一)に対する認否は、四(被告の反論に対する認否)の1ないし3と同旨。(二)の主張事実は争う。

3  同3(損害)のうち、(一)の事実は認める。(二)の和解の事実は認めるが、被告が和解をした理由は不知。(三)の主張は争う。(四)のうち、原告小松望が学生小松の父であり、原告小松知恵子が学生小松の母であることは認めるが、その余の事実は争う。

第三  証拠《省略》

理由

第一  本訴について

一請求原因1(航空機事故の発生及び結果)のうち、(一)(事故の概要)の事実及び(二)(事故の経過)のうち(1)の別表一記載の学生小松に対するスローフライト以降の部分を除くその余の事実は、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、小松に対するスローフライト以降の部分についても、事故機は、別表一記載のとおりの訓練課目、時間、場所、学生によつて訓練飛行を行う予定になつていたことが認められる。

二  事故原因について

1<証拠>によれば、本件事故については、事故当日の昭和五一年五月一〇日から捜索、調査が実施され、同年八月三〇日までの調査結果に基づき、同年九月一四日付で本件に係る航空機事故調査委員会の報告書(甲第一号証)が作成され、さらに、翌昭和五二年五月九日、事故機の主翼、左エンジン、学生小松の遺体等が揚収され、その調査結果に基づき同年七月一四日付で同委員会の追加報告書(甲第七号証)が作成されている。

右甲第一号証、第七号証のうち、本件事故原因を検討するにつき参考となると思われる部分を以下に抜粋する(但し、趣旨を損わない限度で内容を一部変更省略した。なお、数字は報告書中の項目番号である。)。

「2・9・9 燃料セレクタ・バルブ

左右燃料セレクタ・バルブ・アッセンブリは、床板の一部とともに床から脱離して、左燃料セレクタ・バルブの取付けてある床板の一部は上方に湾曲していた。

左側燃料セレクタ・ノブはOFF位置で、右側燃料セレクタ・ノブはON位置にあり、圧搾空気による導通試験の結果、左側バルブは閉、右側バルブは開の状態であつた。

3・2・5 揚収された右エンジンの試験及び研究の結果、右エンジンは正常であつたものと推定され、海面に衡突時は回転力のない状態であつたと推定される。

回転力のなかつた理由については明らかにすることができなかつた。

揚収された左エンジンの試験及び研究の結果左エンジンは正常であつたものと推定される。

3・2・7 事故機のエンジン始動時の搭乗者の位置は、目撃者の口述及び仙台グランド、仙台タワーの航空交通管制機関との交信記録から左前席にA学生(学生牧)、右前席に当該教官(教官緒続)、左後席にB学生(学生加藤)、左最後席にC学生(学生小松)であつた。

なお、訓練中における学生の交替は、飛行前説明によつて、訓練終了の学生が左最後席へ、左後席の学生が左前席へ、左最後席の学生が左後席へ位置することになつていた。

無線による交信は左前席の学生の指示で左後席の学生が実施すること、また副操縦士の操作は左前席の学生の指示で右前席の当該教官が実施することと当該教宮から指示されていた。

3・2・8 D学生は事故当日に当該教官がA、B、C学生に対して行つた飛行訓練説明を共に受けていた。

その口述によると、説明内容及びに訓練実施の要領は次のとおりであつた。

事故当日の訓練は連続離着陸を行つた後、ステープ・ターン、進入形態でのスロー・フライト及び着陸形態でのストールを行うことであつた。

また、場周経路を離脱後、上昇しながら訓練空域に向い、途中において訓練高度に到達して水平飛行に移行して後、スローフライトで訓練空域に向うことが通常の手順であり、訓練空域での課目の実施は説明の順序で行われるのが常であつた。

学生一人に対する空中操作の訓練時間は過去の飛行記録から、四〇分〜四五分(各課目一三分〜一五分の時間割当である)であつた。

3・2・9 事故機は〇八時五六分、仙台グランドの滑走許可を得て、A学生の操縦により滑走路三〇に向つて地上滑走を開始した。

続いて〇九時〇七分、仙台タワーから離陸承認を得て〇九時〇八分、滑走路三〇から離陸した。

その後、訓練空域に到達するまでの状況は航空交通管制機関の交信記録から次のとおりであつた。

事故機はA学生の操縦で場周経路に入り、連続離着陸を四回行い、〇九時三九分ころにA学生はB学生と交替して、B学生の操縦で連続離着陸を四回行い、再び一〇時〇四分ころにB学生はC学生と交替して、C学生の操縦で連続離着陸を四回行つた後、一〇時三〇分仙台タワーに場周経路を離脱する旨の通報を行つた。続いて事故機は一〇時三三分、仙台アプローチに場周経路を離脱して訓練空域に向う旨の通報を行つた。事故機は、訓練空域で訓練高度四五〇〇フィートで水平飛行に移行した一〇時三四分ころ以降、スロー・フライトで訓練空域に向つたものと推定される。

その後、事故機は一〇時四〇分ころ、仙台アプローチに対して訓練空域に高度四五〇〇フィートで入つた旨通報した。

事故機はC学生の操縦により高度約四五〇〇フィートでスロー・フライトを行いながら、訓練空域に到達後、引き続きスロー・フライト、ステープ・ターン及び着陸形態でのストールを実施したものと推定され、その終了は一一時一三分〜一九分と推定される。

その間、事故機が航空局SENDAIに訓練空域到達の通報を行わなかつたので、一〇時四九分ころ航空局SENDAIから事故機に状況をたずねた。

その時点はC学生の訓練中のため、当該教官が自らマイクを取つて訓練空域において高度四五〇〇フィートで訓練中である旨応答した。

従つて、このころまでは事故機は正常に訓練を行つていたものと認められる。

3・2・10 一一時四二分仙台アプローチが事故機を呼び出したが応答がなかつた。

このことから事故機は一一時四二分以前に墜落していたことが推定される。

C学生の遺体が左操縦席に安全ベルトをセットした状態で揚収されたことから、C学生の訓練中に事故が発生したものと推定される。

3・2・11 事故機の揚収残骸の調査結果から機体の着水時には、前脚は下げの位置にあつたと推定されることから、脚機構上、主脚も下げの位置にあつたことが推定される。

3・2・12 事故機の事故当日に実施したと推定される空中操作のうち、ステープ・ターンは脚上げ、フラップ上げ状態で行うため、この操作中の事故(残骸は脚下げ、フラップ12.5度下げであつた。)とは考えられない。

スロー・フライトは片発に異常が発生したり、操縦系統に故障を生じたりしない限り、その操作中において操縦不能の異常な状態に陥ることは極めて少いものと考えられる。

ストールは参考4(1)、(3)の例にもあるように、その操作中において異常な状態に陥つたり、スピンに入る可能性があると考えられる。

3・2・13 解析のための試験及び研究の結果、機体は左横すべり、やや頭下げのほぼ水平(バンク角が小さい。)の姿勢で、前進速度が六〇キロメートル/時(32.4ノット)〜一〇〇キロメートル/時(五四ノット)で、かつ脚下げ、フラップ12.5度下げの状態で海面に衝突したと推定されること、高度四五〇〇フィートから海面まで降下する間に航空交通管制機関等に通報する余裕のない緊急状態に陥り、その回復操作に専念していたと推定されること、及びスピン状態が連続した場合、水平スピンに移行する十分な高度があつたことから、事故機は左スピンに陥り、何らかの理由で旋転が連続し、脚上げを行う余裕のない状態で、操縦者の回復操作の効果があらわれないまま水平スピンに移行して、海面に墜落したものと推定される。

何らかの理由については、明らかにすることはできなかつた。

操縦者の回復操作の効果があらわれなかつたのはビーチクラフト・エクスキューティブ・セイフティ・コミュニケ(成立に争いのない乙第六号証の二)に指摘している事項が関連していたことも考えられる。

3・2・14 事故機がスピンに陥つた際、当該教官が回復操作を行つたか、否か、また操作を行える状態にあつたか、否かについては明らかにすることはできなかつた。

3・2・15 事故機がスピンに陥る過程は航空機に不具合な事項がない場合は、ストール操作中に急にコンプリート・ストールに陥り、その直後スピンに移行した確率が高いものと推定される。

なお、スローフライト実施中又はストールからの回復操作中において、左エンジンに不具合が生じて、その対処のための操作の間にVsse(一発動機不作動(以下、「片発不作動」という。)時安全速度八四ノット)以下となり、急に左スピンに陥ることもありえないことではない。(参考4(2)参照)

3・2・16 事故機がストール訓練を規定された手順に従つて実施していたとすれば、左燃料セレクタ・バルブがOFF位置で揚収されたことから、スピンに陥る過程は次のいずれかであつたものと考えられる。

(1) 左燃料セレクタ・バルブがストール訓練中の回復操作前にOFF位置であつた場合。

イ 脚下げであつたことからストール訓練において、その回復操作の脚上げの手順前の状態であつたことが推定される。

ロ ストール回復操作中のフラップ開度は三〇度又は二〇度が規定位置であるにもかかわらず、12.5度であつたことから、フラップ操作中に規定位置に停止させることができない状況であつたことが推定される。

イ、ロからストールからの回復操作で、C学生が機首下げ操作をし、フル・パワーとしてC学生の合図による教官のフラップ上げ操作中に左エンジンの出力が急減し、その対処のための操作の間にVsse(片発不作動時安全速度八四ノット)以下となり、急に左スピンに陥つたものと推定される。

(2) 左燃料セレクタ・バルブが墜落後においてOFF位置になつた場合。

前項イ、ロからストールからの回復操作で、C学生が機首下げ操作をし、フル・パワーとして学生の合図によるフラップ操作中に、適切な回復操作が行われなかつたためストールからの左スピンに陥つたものと推定される。

4 結論

(1) 当該教官及び三名の学生は適正な資格を有し所定の航空身体検査に合格していた。

(2) 事故機は有効な耐空証明を有しており、所定及び日常点検は規定どおり実施されていた。

(3) 事故機は揚収された残骸に限り、現場調査及び試験及び研究の結果からは、事故による損壊及び海水による腐触ならびに揚収作業による破損等以外の不具合な事項は発見されなかつた。

(4) 事故機は〇九時〇八分に仙台空港を離陸後、一〇時四九分の航空局SENDAIとの最後の交信までの間は正常に飛行訓練を行つていたものと認められる。

(5) 事故機の重量及び重心位置は許容範囲内にあつたものと推定される。

(6) 推定事故発生時間帯(一〇時四九分〜一一時四二分)の気象状況は事故発生に直接関連がなかつたものと認められる。

(7) 当該事故は操縦者の意図した不時着水とは認められない。

(8) 事故機は脚下げ、フラップ12.5度下げの状態で水平スピンのまま海面に墜落したものと推定される。

(9) 事故機が空中操作のうち、ストール操作中の失速時において、急に左スピンに陥り、何らかの理由で旋転が継続し水平スピンに移行して、回復しなかつた可能性が大であると推定される。

(10) スロー・フライト操作中又はストール回復操作中においても、左エンジンに不具合が生じた場合には、Vsse以下となり、左スピンに陥ることもありえないことではないが、揚収残骸が一部であつたため、左エンジンに不具合があつたか否かを明らかにすることができなかつた。

(11) 左エンジンは正常であつたものと推定されるが、ストールからの回復操作時において、左エンジンの出力が急減したか、あるいは、適切な回復操作が行われなかつたため急にスピンに陥り、旋転が継続し、水平スピンに移行して、回復しなかつたものと推定される。

原因

本事故は、操縦者が空中操作の訓練を実施中、事故機が左スピンに陥り、水平スピンに移行して、回復しないまま海面に墜落したものと推定される。

所見

本事故に鑑みビーチクラフト・エクスキューティブ・セイフティ・コミュニケ(五一・四・二六)に述べられた事項を考慮して飛行を行うことが必要である。

参考

4 同型機によるストール、スピンを経験した操縦士の口述要約

(1) 昭和四九年九月ころ、教官及び三名の学生が搭乗して、アプローチ・ターニング・ストールの訓練中、高度三〇〇〇フィートにおいて、右水平旋回で減速中、高度が下がつたため学生が高度を上げようとして急に機首を上げた。

ストール・ウォーニング・ホーンが鳴らないまま、機体は急激に右に傾き、右スピンに入つた。(この時の速度は約六四ノットと記憶している。)

この直後、学生が少しパワーを入れたが、教官はパワーを絞つた。

ギア(脚)、フラップが下がつていたが、上げる余裕がなかつた。そのまま反対ラダー(左)を使つたら旋転が止つた。(約二旋転した。)

旋転停止時は垂直に近い機首下げ姿勢で速度は約六〇ノットであつた。

機体を引き起こそうと操作したが、舵が効かなかつたので、パワーを入れて増速し、水平飛行に移行した。

高度低下は約一〇〇〇フィートであつた。

(2) 昭和五〇年九月中旬ころ進入形態でのストールを訓練していた。

教官はシングル・エンジン状態におけるストールを学生に体験させようと図つていた。

学生は、クリアリング・ターンを行つた後、脚下げ、フラップ二〇度下げを行い、パワーを絞って約一〇〇ノットで降下を開始した。約二〇〇フィート降下して水平飛行に移行しかけたころ、教官が左シングルエンジン状態とした。

学生は脚上げし、No.1エンジンをフル・パワーとし、方向と高度の維持につとめ、左ラダーを一杯使つていた。

速度が八一ノット〜八二ノットに減速したころ、右スピンに急激に入り、機首が真下になつて旋転に入つた。教官はパワーを絞り、左ラダーを使つたが、施転は止まらなかつたので、教官はもう一度ラダーを使いなおし、操縦桿を前に操作したところマイナスGがかかつて旋転が停止し、加速して引き上げた。その時の速度は約一三〇ノットであつた。(約三旋転した。)

(3) 同型式機の試験飛行を担当する操縦士及び教官の口述によると、同型式機のストールは、ストール・ウォーニング・ホーンが鳴らず、及びバフエッティングが発生しないで、翼端失速が急激に起り、四五度―九〇度の傾斜にいきなり入ることがある。」

右抜粋の補足として、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一) 事故機を含め仙台分校の訓練機はビーチクラフト式九五―B五五型(以下「B五五」という)であり、右訓練機には、操縦する学生が座る左前席と教官が席る右前席に、互いに連動する操縦桿とラダー(方向舵)、ペダル及び同一の計器類がそれぞれ装備されていて、教官は、必要があれば、直ちに、学生に代つて自ら操縦することができるようになつている。

(二) 連続離着陸とは、滑走路に着陸し、機体を停止させることなく直ちに離陸する飛行のことである。

ステープ・ターンとは、急旋回ともいい、脚上げ、フラップ上げの状態で、水平線に対する機体の横軸の傾斜角を深くとり(通常四五度)、高度を一定に保ちつつ行う旋回飛行のことである。

スローフライトとは、低速飛行ともいい、B五五の場合、通常の飛行速度が時速一四〇ノットないし一五〇ノットであるが、これを脚下げ、フラップ二〇度下げの状態にして、時速一〇〇ノット前後まで減速し、下降旋回、上昇旋回、水平飛行を行なうものである。

ストールとは、失速ともいい、減速しながら一定の高度を維持するために操縦桿を手前に引いて機首上げ操作を継続していると、翼の迎角が増大し、翼表面上の気流が剥離し、それまで発生していた揚力が急速に失われる現象をいう。減速してストール速度(ストールに突入する寸前の速度)より五ノットないし一〇ノット以上の速度に達するとストール・ウォーニング・ホーンが鳴り、さらに減速するとガタガタという機体の揺れ(バフェッティングという。)が発生し、そのまま数秒間機首上げ操作を継続していると、機首が前方に大きく下がり機体が下降していく。これをコンプリート・ストールという。ストール・ウォーニング・ホーンが鳴るか、バフェッティングが始まつた段階で操縦桿を手離すと飛行機はひとりでに機首を下げ下降していくのであり、これをパーシャル・ストールという。コンプリート・ストールにしても、パーシャル・ストールにしても、飛行機が機首を下げ下降を開始したら、回復操作として出力を最大にして脚上げ、フラップ上げを行う必要がある。仙台分校では、本件事故当時、進入形態でのストール(アプローチ・ストール)訓練は、脚下げ、フラップ二〇度下げの状態で、パーシャル・ストールを実施し、着陸形態でのストール(ランディング・ストール)訓練は、脚下げ、フラップ三〇度下げの状態で、コンプリート・ストールを実施していた。なお、B五五の脚上げ、フラップ上げ状態のストール速度は時速七九ノットであり、脚下げ、フラップ三〇度下げの状態のストール速度は時速約七三ノットである。

スピンとは、きりもみともいい、飛行機が揚力を失い自転しながら、らせん状の経路を描き落下する状態のことである。

2そこで、前記甲第一号証、第七号証の抜粋(以下「報29・9」のように引用する。)並びに本件関係各証拠に基づき本件事故の原因につき検討する。

(一)(1) 報4(3)のとおり、揚収された事故機の残骸を調査した限り、機体に不具合な事項は発見されなかつたものである。

(2) 報3・2・13のとおり、事故機は、スピンに陥り回復しないまま墜落したものと考えられる。

そして、<証拠>によれば、B五五がスピンに陥つた場合については、いちおう、回復手順(直ちに操縦桿を前に押し、スピンの方向と反対側のラダーをいつぱいに踏み、両エンジンの出力をアイドルまで減少せねばならない)が定められており、たしかに、報・参考4(1)、(2)のように、右回復手順に従つてスピンから回復した例も存在するが、<証拠>によれば、B五五は、耐空類別普通N類に属し、スピンから必ず回復することが保証されていない飛行機であると認められる。

従つて、本件では、事故機がスピンに陥つた原因を考えてみなければならない。

(二)(1) <証拠>によれば、B五五は、スピンに陥りやすい飛行機では決してなく、航大仙台分校の教官である斉藤健治、藤井直貞及び中村雅芳は、いずれも過去B五五に教官として搭乗してスピンに陥つたことはなく、右教官らにとつては、B五五は、故意にスピンに入れる操作をしない限り、スピンに入ることはない飛行機であると思われることが認められる。

(2) <証拠>によれば、航大の学生は、航大に入学後、一年間宮崎本校で学科教育を受けたのち(但し、その後も学科教育を受ける)、帯広分校で四か月の間にFA二〇〇という単発機(エンジンが一つの飛行機)で六〇時間の実科教育を受け、次いで、宮崎本校で八か月の間にE三三ボザンナという単発機で一〇〇時間の実科教育を受け、最後に、仙台分校で双発機(エンジンが二つある飛行機)であるB五五で七五時間の実科教育を受け終えて、航大を卒業するものであること、仙台分校の実科教育の内容は、離着陸一三時間、空中操作九時間、基本計器飛行六時間、応用計器飛行一五時間、野外航法二〇時間、夜間飛行五時間、技能審査五時間であり、空中操作の中にステープ・ターン、スロー・フライト、ストールの各訓練が含まれるものであり、その順序としては、まず離着陸と空中操作を並行して行い、約二〇時間を経過した頃、中間技能審査を実施し、その後、計器飛行、野外航法、夜間飛行、最終技能審査を行うことになつていること、そして、学生小松は、仙台分校において、本件事故以前に、昭和五一年四月二七日に慣熱飛行四〇分、同月二八日に空中操作四五分、同月三〇日に連続離着陸(四回)・空中操作四五分、同年五月六日に空中操作四〇分(以上合計三時間五分)の飛行訓練しな受けておらず、いまだ空中操作訓練の初期の段階にあつたものであることが認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、B五五は、前記のとおり、双発機であるが、単発機と双発機とは、基本的な操縦方法は、ステープ・ターン、スロー・フライト、ストールなどの場合も含めて全く同一といつてよく、ただ、双発機にはエンジンが二つあるため、両方のエンジンが均一に作動するよう注意する必要がある点あるいは片方のエンジンの出力が低下したり、停止したような場合、機体の片揺れを防止しバランスを保ちつつ操縦する必要を生ずる点に単発機との主要な相違があるだけであること、航大の学生は、宮崎本校の実科教育課程終了時には、単発機の操縦に十分習熱し、事業用操縦士程度の能力を有するものであり、もちろん単独でステープ・ターン、スロー・フライト、ストールなどの操作をなしうるものであること、従つて、学生小松も本件事故当時そのような能力を有していたはずであること、なお、学生小松は、昭和五一年一月一二日に、自家用操縦士技能証明書(単発機に関するもの)を取得していること、そこで、仙台分校においては、空中操作訓練としてB五五によりステープ・ターン、スロー・フライト、ストールを行う場合、教官は、搭乗前に説明するが、搭乗中は訓練当初から学生に操縦を委せ、学生が誤つた操作をしても学生に代つて自ら操縦することはなく、口頭で学生に指示、注意を与えるのが通常であり、同分校の教官は、このような教育方法に格別の危険を感じていないことが認められる。

以上(1)、(2)に述べたところに照らしてみると、本件事故当時の訓練科目が何であれ、学生小松が事故機の両エンジンを作動された状態で同機をスピンに陥らせるような基本的操作の誤りをおかしたとは、にわかに考え難いところであり、また、本件証拠上もそのような誤りがあつたことを裏付けるものは何ら存しない。

(三) そこで、問題となるのが事故機の左側燃料セレクタ・ノブがOFF位置になつていた点である。

すなわち、検証(第一回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、燃料セレクタ・ノブは、左右各エンジンに対応して一つずつあり、例えば左側のノブをON位置にすれば、左側バルブ(弁)が開き燃料タンクから左エンジンに燃料が供給され、OFF位置にすれば同バルブが閉じて燃料の供給が停止される仕組みになつているものであると認められるが、報2・2・9のとおり、揚収された事故機の残骸によれば、同機の左側燃料セレクタ・ノブはOFF位置にあり、右側燃料セレクタ・ノブはON位置にあり、左側バルブは閉、右側バルブは開の状態にあつたものである。

そして、左側燃料セレクタ・ノブがOFF位置になつたのが、事故機の墜落前であつたか、墜落後であつたかについて、前記甲第一号証、第七号証は何ら言及していない。

しかし、検証(第一回)の結果(同検証調書中の写真三三参照)により認められる右各燃料セレクタ・ノブの形態、設置個所、証人藤井直貞の証言によれば、セレクタ・ノブは軽く触れるだけで動くようなものではなく、これをたとえばON位置からOFF位置に切り換えるにはある程度の力を要すると認められること、報3・2・13で推定された海面衝突時の事故機の姿勢、報2・9・9に述べられた揚収残骸の状況を総合すれば、事故機の海面衝突の衝撃あるいは揚収作業等墜落以後の要因により左側燃料セレクタ・ノブがON位置からOFF位置に移動したとは容易に考え難いところであり、むしろ、右揚収残骸は、墜落前の左側燃料セレクタ・ノブの位置をそのまま示すものと考えるのが相当である。

そして、<証拠>によれば、仙台分校における空中操作訓練の中には、片発不作動時の操作訓練が含まれており、燃料セレクタ・ノブの一つをON位置からOFF位置に切り換えることはエンジンを不作動状態にするための一方法であると認められ、片発不作動時の訓練目的以外のために飛行中片方の燃料セレクタ・ノブをOFF位置にする場合はないと思われる。

そうすると、前述のとおり、墜落前に左側燃料セレクタ・ノブがOFF位置にあつたとすると、それは、教官緒続が片発不作動時の訓練をすべく、自らあるいは学生小松をして、同ノブをON位置からOFF位置に移動させたと考えるほかはない。

(四) ところで、米国運輸安全委員会が一九七六年(昭和五一年)七月二九日付で連邦航空局長官宛提出した安全勧告(成立に争いのない甲第六号証、乙第一八号証)には、次のような内容の記載がある。

「(1) 当委員会は、双発型軽飛行機が意図せずスピンに陥り回復に失敗した事例につき引き続き関心を有する。

(2) ビーチクラフト九五型機の事故(一九七六年一月一七日、メリーランド州ゲーザーバーパーク)とビーチクラフト五八型機の事故(一九七六年一月二日、カルホルニア州)は、いずれも、多発型機についての指導訓練飛行中の事故であつて、乗組の教官及び学生は致命傷を受けた例である。調査によれば、これらの事故は、模擬的に一方のエンジンの故障を想定しての飛行中に入つたスピンにより発生したものである。

(3) 右事故例は、多数の他の事故の典型ともいえるものであり、当委員会の統計によると、一九七〇年から一九七四年の間に発生した双発型軽飛行機によるスピンないしストールの事故は五七件あり、うち一九件は、学生の操縦を訓練中または教官による模範演技中に発生したもので、うち一八件は実際にエンジンに故障が起きたときの事故である。当委員会は、経験の深い教官パイロットでさえ、使用機の飛行特性、特にある条件下での最小操縦速度と片発不作動時のストール速度との関係について十分には精通していないと判断している。従つて、対気速度がストール速度近くまで低下し、又はそれ以下になつて危険な状態であるのに、教官が一方のエンジンを切つてしまつたり、又は学生が飛行速度をこの危険な速度にまで急激に減速するのを教官が見逃したりする可能性がある。

(4) この問題につき、当委員会は、既に連邦航空局長官に対し、一九七五年(昭和五〇年)八月一二日付で安全勧告を提出したが、まだ問題が十分に扱われていないと判断している。

(5) 連邦航空局ウイチタ生産監督支局は、前記(2)の二件の事故に強い関心をもち、ビーチクラフト社をして逐次対策をとらせている。

(6) ビーチ社は潜在的な問題があることを認め、連邦航空局ウイチタ支局と共同して航空機安全実施要領を公開した。右実施要領は、推奨された片発不作動時の安全速度(Vsse)の履行とVmca(最小操縦速度)を安全に演技するための手順とについて説明するものである。

本質的に、ビーチ社は、実際に片発が停止した場合及び片発停止を模した演技飛行を行う場合に、遵守していれば失速/スピン領域に不注意に入ることを防止できる最小速度(Vsse)及び操作手順を定めた。

当委員会は、ビーチ社のとつた措置に満足しているし、またその種の実施報告が配布され、パイロット等全関係者がこれを利用できるようになつていることは、事故防止に役立つものと信ずる。

(7) 従つて、当委員会は、連邦航空局が航空工業会と調整して次のとおり実施するよう勧告するものである。

片発停止時の安全速度(Vsse)を明示するように連邦航空規則を修正すること。この速度(Vsse)は、最小操縦速度(Vmcaえ及び片発不作動時のストール速度より十分に速い速度でなければならない。その結果、臨界発動機の推力が突然アイドルに減少し、作動エンジンの出力が離陸出力又は最大利用出力である場合に制御できない片揺れ、横揺れが発生することはなくなる。」

右安全勧告の(6)で引用されているビーチクラフト社が公開したという航空機安全実施要領が前記乙第六号証の二(ビーチ・セイフティ・コミュニケ)であり、同号証には、

「ビーチ社は、その製造する双発型軽飛行機につき各型式ごとに片発不作動時の安全速度(Vsse)を設定した。Vsseは、この速度以下で急激に片方のエンジンの出力をカットすることを禁止される速度である。これは、飛行機が失速速度以下又は失速速度と同一もしくはこれに近い速度で飛行中、パイロット、教官、審査官が片方のエンジンを急激にカットする練習をする場合に、右パイロットらが直ちにかつ適切な回復措置をとらないと不注意にもスピンに入る可能性があるため、そのような可能性のないことの確実な速度限界を設定したものである。

また、ビーチ社は、前記各型式ごとに、最小操縦速度(Vmca)も明らかにした。

そして、片発不作動状態でVmcaまたは失速速度における飛行を試みるための手順を示した。その手順とは、パイロットはVsse以上の速度において片方のエンジンの出力をカットし、Vmca又は失速警報の合図があるまで減速し、その時点で直ちに作動しているエンジンの出力を絞り、再びVsseに達するために機首を下げる(回復操作)というものである。

ビーチ社が同社製造にかかるB五五につき設定したVsseは、脚上げ、フラップ上げ状態で時速八四ノットであり、Vmcaは時速七八ノットである。」

という趣旨の記録がある。

右各記載に<証拠>を総合すれば、B五五を含むビーチ社製造にかかる双発型軽飛行機において、ストール中又はストール速度に近い低速度飛行中に、片発不作動状態にして他方のエンジンの出力を最大にしたような場合には、格別の操縦ミスがなくても、突然予期しないスピンに陥る危険が存在することが明らかである。

(五) 次に、報3・。・12のとおり、事故機が脚下げ、フラップ12.5度下げの状態で墜落した点を前記(四)で述べたところに照らして検討する。

<証拠>によれば、フラップ(下げ翼)は、これを下げることによつて揚力を増加させる装置であつて、B五五の場合、〇度から三〇度まで下げられるようになつていること、そして、脚下げ、フラップ下げの状態は、より低速の飛行をするための態勢であるといえること、仙台分校における飛行訓練は、巡航及びステープ・ターンは脚上げ、フラップ上げの状態で、スロー・フライト及びアプローチ・ストールは脚下げ、フラップ二〇度下げの状態で、ランディング・ストールは脚下げ、フラップ三〇度下げの状態で、それぞれ行うことになつており、フラップ12.5度下げの状態を固定して飛行を続けることは、まずありえないことが認められる。

そうすると、事故機がスピンに陥つたのは、次のいずれかの場合であると考えられる。すなわち、巡航状態からスロー・フライト又はストールへ移行するための準備操作としてフラップを〇度から二〇度下げ又は三〇度下げの状態にしようとしていた場合か、スロー・フライトを終了して巡航状態に戻るため又はストールからの回復操作としてフラップ二〇度下げ又は三〇度下げの状態から〇度にしようとしていた場合かのいずれかである。

しかし、<証拠>によれば、仙台分校においては、スロー・フライトは時速九〇ノットで行うこととされていたものであるから、巡航状態からスロー・フライトへ移行する準備操作中又はスロー・フライト巡航状態へ戻るための操作中に、前記(三)のとおり、左側燃料セレクタ・ノブをOFF位置にしたことにより片発不作動になつたとしても、前記(四)のとおり脚上げ、フラップ上げ状態のB五五のVsseが八四ノット(脚下げ、フラップ下げの状態の場合、これより低い速度になると考えられる。)であることからして、前記(四)で指摘した、予期しないスピンに陥る危険はないはずである。

また、巡航状態からストールへ移行する準備操作中であつても、<証拠>によれば、その場合のフラップ下げ完了時の速度は時速九五ノット(フラップ二〇度下げのとき)又は時速九〇ノット(フラップ三〇度下げのとき)になるようにすべきものであるから、フラップ下げ途中に、前記のとおり、片発不作動になつたとしても、前記(四)で指摘したスピンに陥る危険は存在しないと考えられる。

しかし、<証拠>によれば、当時、仙台分校では、ストールからの回復操作は、ストールに入つたのち、機首を水平線よりやや下方に押え、エンジンの出力を最大にして脚上げ、フラップ上げを行い、速度が時速八〇ノットに達したら、機首を上げ始め、もとの高度まで回復するというものであつたから、フラップ上げの途中で片発不作動状態になつた場合、まさに前記(四)で指摘した、予期しないスピンに陥る危険が存在することになるわけである。

右のように、前記(四)で述べたところに照らして事故機が脚下げ、フラップ12.5度下げの状態で墜落したことにつき検討すると、事故機は、ストールからの回復操作として出力を最大にしてフラップ上げの操作中、機速がいまだVsse(安全速度)に達しないうちに、左側燃料セレクタ・ノブがOFF位置にされたことにより片発不作動となり、スピンに陥つた可能性が高いと思われる。

なお、巡航状態からスロー・フライトへ移行する場合、スロー・フライトから巡航状態へ移行する場合あるいは巡航状態からストールへ移行する場合に、片発不作動状態になつたときにも、一般的には、学生の操縦ミスあるいは教官の学生に対する指示監督のミスによりスピンに陥ることが全くありえないとはいえないであろうが、本件全証拠によるも、仙台分校においてそのような場合に現実にスピンに陥つた事例を認めることはできず、むしろ、そのような場合、教官は学生が片発不作動時の操縦に習熟していないことを承知しているから、教官用の操縦装置を使用するなどしてとりわけ慎重に学生に対し指導監督して事故の発生を未然に防止するのではないかと思われ、前記のような学生の操縦ミスあるいは教官の学生に対する指導監督ミスが本件事故の原因である可能性は低いと考えられる。

(六) そこで、右(五)のように事故機がストールからの回復操作中片発不作動状態になつたと推認することを妨げるべき事情を検討するに、仙台分校の教官である証人藤井直貞の証言によれば、同分校の実科教育における正規の訓練内容には、ストールからの回復操作中の片発不作動時訓練は含まれていないことが認められ、同証人は、これまで学生に対しB五五を使用して片発不作動状態のストール訓練を行わせたことはないし、教官緒続のまじめかつ慎重な性格からして同教官がストール訓練中に燃料セレクタ・ノブをOFF位置にするとは考えられない旨供述する。

しかしながら、報・参考4、(2)によれば、同分校において教官が片発不作動状態でのストールを学生に体験させようとしてスピンに陥つた事例が存在することが認められるのである。

右報・参考4(2)について、証人中村雅芳は、「スロー・フライト状態における片発不作動時の訓練のことを述べたもので、片発不作動時の訓練の一部としてストールを実施したものではない。」と供述するところ、たしかに、報・参考4(2)によれば、教官が左シングル・エンジン状態にしたのは、スローフライト中であるといえるが、その後半部分によれば、学生は方向と高度の維持につとめながら速度を八一ノットないし八二ノットまで減速したことが窺われ、右は、まさにストール又はストール速度に近い速度での飛行を試みるための操作であると認められる。また、報・参考4(2)は、本件事故原因解明のための事情聴取の結果を記載したものと推測されるところ、単なるスロー・フライト中の片発不作動状態の訓練と片発不作動状態におけるストール訓練とは全く意味、内容が異なるものであるから、報・参考4(2)の記載が口述要約をした者の誤解に基づくものとは考え難いところであり、従つて、証人中村雅芳の前記供述は採用できない。

また、後記三2で認定するとおり、本件事故当時、仙台分校及び教官緒続においては、前記ビーチ・セイフティ・コミュニケの存在、内容あるいは右コミュニケで指摘された、ストール訓練に片発不作動状態にすることに特有の危険を十分に認識していなかつたものと認められることに照らすと、教官緒続がまじめで慎重な性格であつたからといつて、直ちには同教官がストール中に片発不作動時訓練を実施するはずがないとはいえないと思われる。

次に、報3・2・8によれば、教官緒続が事故当日地上で学生小松らに対して述べていた当日の訓練内容の中に片発不作動状態の操作が含まれていたとは窺えず、また、証人藤井直貞は、「訓練時間(空中操作のみの訓練時間か離着陸の訓練時間との合計か明らかでない。)が四時間を経過したころから片発不作動時の訓練を行う。」と供述するところ、<証拠>によれば、事故当日までの学生小松の訓練時間は、離着陸と空中操作を合わせると三時間〇五分であり、空中操作のみだと約二時間四〇分(連続離着陸四回は約二五分である。)であつたと認められることからすると、教官緒続が本件事故日にストールからの回復操作中の片発不作動時訓練を実施するはずがないのではないかという疑問が感じられなくもない。

しかし、<証拠>によれば、仙台分校の運航規程として定められた空中操作の訓練内容は、同訓練の時間が二時間を経過したのち、四時間をかけてステープ・ターン、スロー・フライト、ストール及び片発不作動時訓練を含む緊急時訓練を実施することになつていることが認められ、さらに、教官の教育方針あるいは学生の技術、能力等によつて、学生が受ける訓練の順序、内容に相違を生ずることは、当然ありうると考えられるから、教官緒続が、事故当時地上で学生に対し片発不作動時訓練の説明をしていなかつたからといつて、あるいは教官藤井直貞の通常の訓練方法より早めに片発不作動時の訓練を開始したからといつて、直ちに不自然というべきではない。

そうだとすると、前示の疑問として述べた点も、本件事故がストールからの回復操作中の片発不作動時訓練により発生したとの推認を妨げる事情ということはできない。

(七) 以上のように考察してきた結果、当裁判所としては、事故機の左側燃料セレクタ・ノブがOFF位置になつていたこと、事故機が脚下げ、フラップ12.5度下げの状態で墜落したこと、前記安全勧告、ビーチ・セイフティ・コミュニケを重視して、本件事故は、ストールからの回復操作中片発不作動状態となり、スピンに陥つて発生したものと推認するのが相当であると考える。そして、右の結論は、報3・2・16(1)及び報4・(11)とほぼ相応するものである。

なお、当裁判所が本件事故原因として右の結論しか絶対的にありえないとの心証にまで達したものではないことは、本件事案の内容からしていうまでもないであろう。しかし、だからといつて直ちに事故原因の証明なしとするのは妥当ではなく、本件の限られた証拠関係のもとでは、証明の程度としては比較的弱めであるといわざるをえないが、前記のとおり可能性の高い事実をもつて事故原因を推認することが許されると考えるものである。

三  被告の責任について

1航大は、航空に関する専門の学科及び技能を教授し、航空従事者を養成するため被告が設置した機関であること(運輸省設置法三七条の二)、事故機の所属する航大仙台分校は被告が管理する学校であり、教官緒続は航大仙台分校の操縦教官であり、被告が雇傭する国家公務員であつたことは、当事者間に争いがない。

2前記のとおり、本件事故は、教官緒続の指導監督のもとに、学生小松がストールからの回復操作を行つていた際、機速がVsse(安全速度)に達しないうちに片発不作動状態になつたことによりスピンに陥つて発生したと推認され、また、前記のとおり、右片発不作動状態は教官緒続の意思に基づき作出されたものと推認される。

そして、前記安全勧告は、昭和五一年七月二九日付でなされており、また前記ビーチ・セイフティ・コミュニケは、昭和五一年四月二六日付で発表されているが、<証拠>によれば、これが航大に到着したのは、本件事故日より後であつて、新日本整備株式会社から英文のものが昭和五一年五月一三日付で航大仙台分校に、また、英文及び訳文各一部が同月一七日付で宮崎本校及び仙台分校に対し発信されたことが認められるから、本件事故当時、教官緒続はもちろん航大全体においても、右安全勧告及びビーチ・セイフティ・コミュニケが指摘したストール中に片発不作動状態にすることに特有の危険を、安全勧告あるいはビーチ・セイフティ・コミュニケに記載されている程度まで明確には認識していなかつたであろうと思われる。

しかしながら、双発機の操縦訓練としては、本来、その安全性さえ確保できれば、可能な限り多様な場合における片発不作動状態の訓練を実施して片発故障時の操縦に備えることが望ましいと思われるところ、仙台分校の実科教育の中にはストールからの回復操作中に片発不作動になつた場合の訓練は含まれていなかつたものであり、その理由はやはり、同訓練を航大学生に対して実施した場合には、片発不作動状態でのバランス保持と機速との関係上飛行の安全を十分に確保しがたいと考えたことにあると推測されるところである。

そうだとすると、教官緒続としては、仮に、仙台分校においてストールからの回復操作中に片発不作動での訓練を実施することが明示的には禁止されていなかつたとしても、少なくとも同訓練に伴う危険性を容易に認識しえたはずであり、同教官は、学生小松に対して同訓練を実施することを差控えるべき義務を負つていたものといわざるをえない。

それにもかかわらず、教官緒続は、前示のとおり、右義務に違反した過失により、右訓練を実施して本件事故を発生させたと推認されるのである。

なお、教官緒続の右のような過失を認定することは、請求原因3(二)(5)①及び同3(二)(6)①の各主張に照らし、弁論主義に反するものではないというべきである。

3そして、国家賠償法一条一項にいう公権力の行使とは、国又は地方公共団体がその権限に基づき優越的意思の発動として行う権力作用のみならず、広く、公の営造物の設置、管理作用及び私経済作用を除く非権力的作用を含むものと解するのが相当であるから、前記のとおり、被告が設置した航大の教育作用にも同法一条一項の適用があるものと解すべきところ、前記のとおり、本件事故は、国家公務員である航大教官緒続の過失により発生したと推認されるから、その余の点につき判断するまでもなく、被告には、同法一条一項により、右事故による原告らの損害を賠償する責任があるといわなければならない。

四  損害額について

1逸失利益

請求原因4(損害)の(一)(逸失利益)のうち、(1)の学生小松が昭和二九年三月二二日生まれであり、昭和五一年五月一〇日、本件事故により死亡した事実及び同(2)のうち、学生小松が昭和四七年三月、長野県上田高校を卒業した後、同年四月、信州大学に入学したが、昭和四九年三月、同大学を中退し、同年四月、航大第二一期前期操縦学生として航大に入学し、昭和五一年一月一二日、自家用操縦技能証明(番号六六七〇号)を取得した事実は当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、本件事故がなければ、学生小松は昭和五一年一一月に航大を卒業し、遅くとも翌昭和五二年四から稼働して収入を得たであろうことを推認することができる。

但し、原告らは、学生小松は、航大卒業後は航空会社又は航大の教官などに就職することになつていた旨主張するが、<証拠>によれば、学生小松の同期の航大卒業生のうち航空機の操縦士として就職できたのは、ほんの一部であつて、残りの者は操縦士にはなつておらず、航大の教官になつた者は一名もいないことが認められ、従つて、学生小松と、たとえ航大を卒業していたとしても、操縦士として就労したであろうと推認することはできない。

従つて、以上の事実に弁論の全趣旨を総合すれば、学生小松は、少なくとも二三歳から六七歳までの四四年間就労し、その間毎年昭和五一年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、高専、短大卒の男子労働者の平均賃金の年間合計金三〇五万〇四〇〇円の収入額を得ることができたものと推認される(計算の基礎となる資料は事故時のそれを使用するのが相当と認める。)ので、右の額を基礎として、これから生活費として五割を控除し、それをライプニッツ式計算方法により年五分の割合による中間利益を控除して、死亡時における学生小松の逸失利益の現在価額を算出すると、その金額は、金2693万円(305万0400円×0.5×17.663。但し、一万円未満切捨)となる。

そして、原告小松望が学生小松の父、原告小松知恵子が学生小松の母であることは当事者間に争いがないから、右学生小松の逸失利益の二分の一ずつである金一三四六万五〇〇〇円を原告らがそれぞれ相続したものと解される。

2慰藉料

前記認定事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、学生小松は一旦信州大学に入学した後に、敢えて同大学を中退してまで航大に入学し、同大学を卒業して社会に巣立つのをあと僅か六ケ月余先に控えていた矢先に、本件事故に遭遇し、突然死亡するに至つたことが認められるのであり、息子の成長に大きな期待を寄せていたであろう原告らの落胆の大きさは想像に難くなく、その他本件に顕われた諸事情を勘案すると、これによつて被つた原告ら固有の精神的苦痛に対する慰藉料としては各金三〇〇万円が相当である。

3弁護士費用

請求原因4の(三)(弁護士費用)のうち、原告らが本件訴訟を提起するにあたつて、原告ら訴訟代理人両名に訴訟の追行を依頼した事実は当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、それに際し、相当額の費用及び報酬の支払を約していることが認められる。そして、本件事案の性質、事件の経過、認容額に鑑みると、原告らが被告に対して賠償を求め得る弁護士費用は各金一二〇万円が相当である。

4過失相殺について

前述のとおり、本件事故は、教官緒続が学生小松に対しストールからの回復操作中片発不作動状態にしたという同教官の一方的過失によつて惹起されたと推認されるものであり、他方、本件事故につき学生小松の過失が存したことを窺わせるべき証拠は何ら存しないから、被告の主張は採用できない。

5以上によれば、原告らの損害額の合計は、各金一七六六万五〇〇〇円である。

第二  反訴について

一請求原因1(航空機事故の概要)の事実は、当事者間に争いがない。

二しかし、本訴について説示したとおり、本件事故は、教官緒続の一方的過失により発生したと推認され、学生小松の過失が存しないことを窺わせるべき証拠はは何ら存しないのであるから、被告が原告らに対し、被告主張のような求償債権を取得するいわれのないことは明らかであつて、被告の反訴請求は、その余の点につき触れるまでもなく理由がない。

第三  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、国家賠償法一条に基づく損害賠償金のうち各金一七六六万五〇〇〇円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和五一年五月一一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の原告らの本訴請求部分及び被告の反訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条。、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用し、仮執行免脱宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(小野寺規夫 田中哲郎 山田敏彦)

別表 一

訓練課目

時間

場所

学生

離陸

午前九時八分

仙台空港

連続離着陸(四回)

同九時八分→同九時三九分

仙台空港及び付近空域

同九時三九分→同一〇時四分

加藤

同一〇時四分→同一〇時三〇分

小松

スローフライト

同一〇時三四分→同一〇時四九分

指定訓練空域

小松

ステープターン

同一〇時四九分→同一一時四分

ストール

同一一時四分→一一時一九分

ステープターン

同一一時一九分→同一一時三四分

加藤

スローフライト

同一一時三四分→同一一時四九分

ストール

同一一時四九分→午後〇時四分

別表二、三<省略>

別表 四

装備品名

告示された限界使用時間

航空大学校が

設定した限界使用時間

発動機(エンジン)

一五〇〇時間

一〇〇〇時間

プロペラ

四五〇〇時間

一〇〇〇時間

滑油ポンプ

一五〇〇時間

一〇〇〇時間

磁石発動機

一五〇〇時間

一〇〇〇時間

点火用デストリビューター

一五〇〇時間

一〇〇〇時間

発動機駆動式ポンプ

一五〇〇時間

一〇〇〇時間

燃料噴射ポンプ

三〇〇〇時間

一〇〇〇時間

プロペラ調速器

三〇〇〇時間

一〇〇〇時間

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例